前カゴに刺さった破滅への予備動作
駅へと急ぐ自転車。
その人の前カゴには一本の傘が真っ直ぐに前向きに立てられていた。
本人は鼻歌まじりにペダルを漕いでいるかもしれない。だが、私には、その傘の先端が回転するスポーク(車輪の中心部分と、外枠をつなぐ放射状に伸びた金属の棒)のすぐそばまで迫っているのが見える。
ルール違反だとかマナーだとか、そんな外側の言葉で片付けるには、あまりにその光景は不自然だった。ふと思い返せば、ハンドルから無造作にぶら下げられた買い物袋が、前輪のすぐそばで揺れている光景も、これと同じ地続きの危うさを孕んでいるのだ。
日常の平穏と破滅が紙一重で同居するその光景に、恐ろしさを感じる。
8割の冷徹な事実
なぜ、人はこれほど明白なリスクを無視できるのか。そこには【楽観性バイアス】という脳のバグが潜んでいる。
「自分だけは大丈夫。」
「まさか自分が事故に遭うわけがない。」
十分な根拠がないにもかかわらず、自分を例外視してしまうこの認知機能が、無意識のうちに警戒心を麻痺させてしまうのだ。
しかし、物理法則は人間の楽観性を考慮してくれない。
傘がスポークに触れた瞬間、タイヤは一瞬でロックされ、乗り手は慣性の法則に従って地面へと叩きつけられる。
データによれば、こうした巻き込みによる転倒事故は、過去5年でその8割が重症に至っているという。顔面強打よる損傷や、頸椎へのダメージ。昨日まで当たり前に送れていた普通の生活が、カゴに刺した一本の傘によって、一瞬で書き換えられてしまうのだ。
不安定な乗り物で最高の自分を保つために
そもそも自転車という乗り物は、歩行者以上に大きなリスクを常に背負っている。
統計的に見ても、信号のない交差点での出会い頭の事故は後を絶たない。自転車側の確認不足や、予測しにくい動きが事故を誘発しているのが実情だ。
傘をカゴに刺す、あるいはハンドルに荷物をかける。そのわずかな手間を惜しんで得られるリターンは、せいぜい目的地に数分早く着くことか、あるいは片手が少し楽になる程度だ。それに対してベットしているチップが「8割重症化する自分の身体」だというのだから、カジノのディーラーですら呆れて顔を背けるような、絶望的に分の悪い賭けである。
最近は自転車の厳罰化が加速しているが、法に触れるかどうかを気にするのは二の次でいい。それよりも大切なのは、身体の主導権を運任せにしない、という意思だ。
ハンドルに物をぶら下げない。自転車から鳴る異音を放置しない。
こうした小さな配慮は、誰かのためのルールではなく、自分の価値ある日常を自らの不注意で貶めないための、「知的な防衛策」なのだ。


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