駅や街中で、歩きスマホをしながらこちらへ向かってくる人を見かけたことはないだろうか。
相手はスマホだけを見たまま歩き、自分から避ける気配はない。
結局、前を見て歩いているこちら側が、進路を変えて避けることになる。
「危ないな。」
「なんで周りが見えなくなるんだろう。」
そう感じて、イライラした経験がある人も多いはずだ。
では、歩きスマホをする人は、本当に周囲が見えていないのだろうか。
実は問題は、「周りを見ているかどうか」だけではない。
スマホに意識が向くことで、脳の注意の使い方が変化し、危険への認識が薄れてしまうことがある。
この記事では、歩きスマホが危険と言われる理由だけでなく、人がなぜやめられないのかという心理について、人間観察の視点から解説していく。
歩きスマホをする人はなぜやめられないのか?
スマホを見る
↓
注意が一点へ集中する
↓
周囲への注意が薄れる
↓
危険を認識しにくくなる
↓
歩きスマホを続けてしまう
人の注意力は一点集中になりやすい
人は、「歩きながらスマホを見ている」と思っている。
しかし実際は、その逆だ。
”スマホを見ながら歩いている”
この違いは小さいようで、とても大きい。
歩くことがおまけになり、脳の注意はスマホへ集中している状態と言い換えることができる。
人の脳は、一度に複数のことへ同じだけ注意を向けることが苦手だと言われている。
そのため、
- 前から歩いてくる人
- 信号の変化
- 自転車
- 段差
こうした周囲の情報よりも、目の前の画面を優先してしまう。
その結果、人にぶつかったり、信号を見落としたり、自転車に気づかなかったりする。
歩きスマホの危険性は、「周囲を見ていないこと」ではない。
脳が優先順位をスマホへ切り替えてしまっていることなのだ。
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危険を感じなくなるのは「慣れ」があるから
多くの人は、一度は
「歩きスマホ、危ないな。」
と感じたことがあるはずだ。
しかし、
事故を起こさなかった。
今回も何もなかった。
今日も無事だった。
そんな経験を繰り返すうちに、危険への感覚は少しずつ薄れていく。
つまり、危険性がなくなったのではない。
危険を危険として感じる感覚が鈍くなっているだけなのだ。
人は慣れるほど、「何も起きなかった経験」を安全だと錯覚しやすい。
やがて、「歩きスマホは危険」という認識そのものが薄れ、無意識の習慣になってしまう。
事故の可能性を過小評価している
歩きスマホをする人には、「事故は自分には起きない」という心理が働いていることがある。
「事故は誰かが起こすもの」
とは考えても、
「事故は自分にも起こるもの」
とは考えにくい。
だから、
「今日も大丈夫。」
「自分なら避けられる。」
と、事故に遭う可能性を実際より低く見積もってしまう。
しかし、事故とは、いつ誰に起きてもおかしくないから「事故」なのである。
歩きスマホは、その可能性を自ら高める行動でもある。
当事者意識が薄いまま続けてしまうことが、事故を引き寄せる一因になっているのだろう。
歩きスマホにイライラする理由
歩きスマホをしている人にイライラする理由は、「危ないから」だけではない。
例えば、
- 前を向いて歩いているこちらが避けなければいけない
- ぶつかりそうになって立ち止まる
- 避けきれず肩が当たる
- 車を運転していると、信号が変わっても気づかず飛び出してきてヒヤッとする
こんな経験がある人も多いのではないだろうか。
本来ならスマホを見ている側が注意すべきなのに、その負担が周囲へ押し付けられている。
だから、人は
「なんで自分が避けなあかんねん」
と感じてしまう。
さらに厄介なのは、多くの場合、本人にはその自覚がほとんどないことだ。
歩きスマホをしている本人は、
「少しくらいなら大丈夫」
と思っている。
しかし周囲から見れば、いつぶつかってきてもおかしくない危険な存在になっている。
この「本人の認識」と「周囲から見えている姿」のズレが、歩きスマホに対するイライラを大きくしているのだろう。
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歩きスマホは違反なのか?なぜなくならないのか
歩きスマホについては、自治体によって防止条例が制定されるなど、社会的にも問題視されている。
しかし、ルールや注意喚起があっても完全になくならない。
その理由は、歩きスマホをしている本人が「危険な行動をしている」という実感を持ちにくいからだ。
事故が起きてから危険を理解するのではなく、
「何も起きていない今」
こそ危険を想像できるかどうかが重要なのだろう。
人を見る力として考えると
今回見るべきなのは、「歩きスマホをしている」という行動そのものではない。
本当に見るべきなのは、
危険があっても、「自分は大丈夫」と感じ続けてしまう判断のクセだ。
人は、一度事故が起きなかった経験を積み重ねると、その危険を少しずつ過小評価するようになる。
そして、その感覚は歩きスマホだけに表れるとは限らない。
仕事でも、「まだ大丈夫だろう。」
約束でも、「少し遅れても大丈夫。」
運転でも、「これくらいなら事故にならない。」
ギャンブルでも、「今回は勝てる気がする。」
こうした場面で、
「自分だけは例外だ」
と無意識に考えてしまう人もいる。
しかし、一つの行動には、その人の判断のクセが表れることがしばしばある。
その行動の裏にある考え方や、物事をどう判断する人なのかまで想像できるようになることが重要だ。
もし「自分だけは大丈夫」という判断を繰り返す人なのであれば、その考え方は歩きスマホだけで終わらないかもしれない。


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