玄関で靴を脱いだあと、自然に靴を揃える人がいる。
一方で、脱いだ場所にそのまま置いていく人もいる。
これまで深く考えたことがなかったが、そもそもなぜ靴を揃えるのだろう。
「礼儀だから」と言われれば、それまでなのかもしれない。
ただ、調べてみると「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉に行き着いた。
脚下照顧とは、禅家で「足元に気をつけよ」という意味を持つ言葉だそうだ。そこから、自分自身を振り返ったり、身近なことをよく見たりすることにもつながっている。
そう考えると、靴を揃えるという小さな行動も、少し違って見えてくる。
では、靴を揃えるという行動から、その人の何が見えるのだろうか。
そもそも、なぜ靴を揃えるのか?
靴を揃える理由として、まず思いつくのは「マナー」だろう。
玄関で靴を脱いだら揃える。
人の家に上がるときは、靴の向きを整える。
こうした作法として、子どもの頃から教えられてきた人も多いはずだ。
ただ、本当にそれだけなのだろうか。
例えば、誰も見ていない場所で靴を脱いだとする。
そのまま置いても、自分自身は困らない。
それでも靴を揃えるのだとすれば、そこには「自分が使った後の状態」を整えようとする意識があるとも考えられる。
自分が脱いだ靴を、そのままにしておくのか。
それとも、次にその場所を使う人のことまで考えて、向きを整えるのか。
たった数秒の違いだが、そこには「自分が使った後」をどこまで意識しているかという違いが表れるのかもしれない。
「脚下照顧」という言葉から考える
「脚下照顧」という言葉を知ると、靴を揃えることの意味も少し変わって見えてくる。
「脚下」は足元、「照顧」はよく見る、振り返って見るという意味を持ち、禅宗では「まず自分の足元をよく見よ」という戒めとして使われる言葉だそうだ。
つまり、足元を見ることで、自分がどういう状態にしているかを把握し、その状態を整える。
こう考えると、「靴を揃える」という行動は、単に見た目を綺麗にするためだけのものではなくなる。
自分が今いる場所や、自分が使ったものに目を向ける。
そして、自分が使った後の状態をそのままにしない。
そう考えると、靴を揃えるという小さな行動の背景には、意外と大きな考え方が隠れているようにも思える。
靴を揃える人から見えるもの
靴を揃える人を見て、「礼儀正しい人だ」と感じることはある。
ただ、そこで終わってしまうと、人間観察としては少しもったいない。
むしろ面白いのは、その人が「自分が使った後」をどう扱っているのかという部分だ。
例えば、旅館や会社などにあるトイレのスリッパを考えてみる。
3足、4足と並んでいるスリッパのうち、自分が使ったものを脱いだ後、きちんと揃える。
これは分かりやすい。
では、他のスリッパがバラバラになっていたらどうするだろう。
自分が使ったものだけ揃えて、そのまま出る人もいる。
一方で、自分が使ったものに限らず、乱れているスリッパまで自然に揃える人もいる。
もちろん、後者の方が必ず人間的に優れているという話ではない。
ただ、そこには「自分が使ったもの」だけを見るのか、「自分がいる場所全体」を見るのかという意識の違いが表れることがある。
そして、この考え方は靴だけに限らない。
会社の備品。
家の中の共有物。
みんなが使うトイレや洗面所。
自分が使ったものを、使う前と同じ状態に戻す。
次に使う人が困らないようにする。
こうした行動にも、「自分が使った後」を意識しているかどうかは表れやすい。
「自分が使えればいい」で終わるのか、それとも「使った後の状態」まで考えるのか。
靴を揃えるという行動は、そんな意識を見る入口にもなる。
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靴を揃える人は「周囲への意識」がある?
ここまで考えると、靴を揃えるという行動には、少なからずその場所への配慮が含まれているとも考えられる。
自分が脱いだ後の玄関をどうするか。
次にその場所を使う人がどう感じるか。
そうしたことを少しでも考えるからこそ、靴を揃えるという行動につながるのかもしれない。
ただ、靴を揃えるという一つの行動だけで、その人の人間性を決めつける必要はない。
靴は綺麗に揃えるのに、店員への態度は悪い人もいる。
靴はきちんと並べるのに、共有スペースには平気で荷物を置く人もいる。
反対に、靴を揃える習慣はなくても、周囲への気遣いができる人もいる。
だからこそ、見るべきなのは「靴を揃えるかどうか」だけではない。
他の場面でも、その人が自分以外のことをどの程度意識しているのか。
そこまで見ていくと、靴を揃えるという小さな行動が、その人を知る一つの材料になってくる。
靴を揃える人を見て分かるのは「礼儀」だけではない
靴を揃えるという行動を、もう少し広く考えてみる。
自分が出したものを片付ける。
共有物を元の場所に戻す。
次の人が使いやすい状態にしておく。
自分が困らなければいい、で終わらせない。
これらはすべて、「自分が使った後」を意識する行動だ。
例えば、会社で共有している備品を使ったあと。
自分が使えればいいと考えて、そのまま机に置いておく人もいる。
一方で、次に使う人が探さなくて済むよう、元の場所に戻す人もいる。
一つひとつは小さな行動だ。
しかし、こうした行動が積み重なると、「この人と一緒にいると周囲がどうなるのか」という部分にも違いが出てくる。
靴を揃えるという行動そのものよりも、自分の行動が終わった後まで意識しているか。
そこを見ると、靴以外の日常にも同じ傾向が見つかるかもしれない。
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靴を揃えるという小さな行動から見えてくるもの
靴を揃えることは、たった数秒でできる小さな行動だ。
だからといって、そこに大きな意味を持たせすぎる必要もない。
ただ、自分が使った場所をそのままにするのか。
それとも、次に使う人のことまで考えて整えるのか。
その違いには、その人が「自分が使った後」をどこまで意識しているのかが表れることがある。
そして、それは靴だけの話ではない。
自分が使ったものをどうするのか。
共有する場所をどう扱うのか。
次に使う人のことをどこまで考えるのか。
そうした小さな行動をいくつか見ていくと、その人が「自分中心」で動いているのか、それとも周囲にも意識を向けているのかが、少しずつ見えてくる。
脚下照顧という言葉が教えてくれるのも、まずは自分の足元を見ることだそうだ。
靴を揃える人を見たとき、
「礼儀正しい人なんだな」
だけで終わらせるのではなく、
「この人は、自分が使った後のことまで考える人なのかな」
と見てみる。
そんな小さな視点の変化が、その人を知るための材料になるのかもしれない。


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