全国で梅雨入りが発表される中、百貨店や雑貨屋の店頭でも、商品の入れ替えが激化していた。
小型の持ち運び用扇風機、ネッククーラー、冷感スプレー。夏の到来を告げる品々がひしめく中、異彩を放っていたのが折りたたみ傘のコーナーだ。最近はどんなものが売れているのかと、私は少しの好奇心を抱いて売り場へ近づいた。
売り場に異彩を放つ石鹸サイズ
最近の折りたたみ傘の進化には目を見張るものがある。軽量化、撥水性、耐風性。10年前と比較したら、本当に多種多様な製品が世に出されてきた。
その中で私の目を引いたのは、圧倒的な「サイズ感」だった。
折りたたみ傘を持ち歩く人の心理はシンプルだ。大きな傘を持ち歩くストレスを避けたい、あるいは、いつ降るか分からない雨へのリスクヘッジだろう。だが、その携帯性を重視しすぎたあまり、本末転倒な領域に突入している傘が紛れていた。
それは、石鹸とほぼ同等か、それよりほんの少し大きいくらいの超小型傘だ。
ブースには実際に手にとって開閉を確認できる見本が置かれていた。触らずにはいられないとその傘を手に取り、私はまず息を呑んだ。
軽すぎる。動物の毛を手のひらに置いているのかと錯覚してしまうくらい、手応えがなかった。マジックテープをベリベリと剥がすと、いとも簡単に開く。開いた傘の持ち手を肩のあたりに持って行っても、やはり重さを感じない。雨から守るのにも、日傘にもなるよう丈夫に作られていると、最初は感心すらしたのだ。
動物の毛のような軽さと目の前の暗転
しかし、問題はここからだった。
「さて、片付けようか」と思った瞬間、目の前が暗転した。畳み方があまりにも分かりづらいのだ。
一応、工場出荷時の折り目はついている。だが、薄すぎる布地と細すぎる骨組みが仇となり、少しでも指先を狂わせると、一瞬で不格好なしわくちゃの塊に変貌する。
気がつけば、私は百貨店のきらびやかな照明の下、小さなしわくちゃの布と真っ正面から悪戦苦闘していた。通り過ぎる客の視線を感じながら、指先を小さく動かし、布を整え、巻き付ける。元の形と遜色ないまでに綺麗に収めるまでに、ゆうに5分はかかった。
その時、私の中に強烈な冷ややかさと、一種の嫌悪感が湧き上がってきた。
ミニマリズムに盲従する現代人の認知バグ
「持ち運び」のコストを極限まで削った結果、使用後の「片付け」という局面で、これほどまでに泥臭く不毛な労力を支払わされる。これでは完全に本末転倒ではないか。
駅のホームやオフィスビルのエントランスで、この「石鹸サイズのスマートさ」を気取った人間たちが、雨上がりに指先を真っ黒にしながら必死に布を畳んでいる姿を想像すると、滑稽で仕方がなかった。彼らが求めたはずの「ミニマル」という美意識は、その瞬間、だらしなくよれた布地とともに完全に崩壊している。
何を買うにも一長一短はある。しかし、世間の「ミニマル」「タイパ」という小手先の謳い文句に盲従し、一手先にある「自分の時間を奪うコスト」を計算できないままでいるのは、あまりにも浅はかだ。
5分前の自分への猛烈な気まずさを覚えながら、私はその「軽すぎる塊」をそっと棚に戻し、足早に売り場を後にした。あの傘を買わずに済んだことだけが、その日、私の世界に辛うじて残った合理性だった。

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