私が通うスーパーは、火曜日が特売日だ。
初夏の少し汗ばむ朝、開店から10分が過ぎた頃に店内へ足を踏み入れる。入り口付近では、カートを押した常連らしき高齢の女性3人が「最近の物価高、本当に容赦ないわね」「今日もキャベツがあの値段よ、いつ戻るのかしら」と、ため息混じりの会話を交わしていた。
彼女たちの横目をすり抜け、青果コーナーへ向かう。確かに何でも高い。しかし、すでにインフレの時代に片足を踏み込んでいるのだから、いまさら目くじらを立てても仕方がないと、私は半分諦め混じりの冷めた感覚で商品を眺めていた。
入り口近くの棚には、旬を少し過ぎたいちごが真っ赤な山を作ってずらりと並んでいる。遠目からでもほのかに甘い香りが漂い、殺伐とした物価高の空気を忘れさせてくれるようだった。
その甘い空間を、一人の客が店員を呼びに行くような急ぎ足で横切ったのは、まさにその時だった。
スーパーの「値札間違い」が引き金になる時
何かトラブルだろうか。いちごの香りに後ろ髪を引かれながらも、私は吸い寄せられるようにその客のあとを追った。
少し離れた棚の前で、客が店員に対して若干眉をひそめ、スマホの画面を突きつけているのが見えた。どうやらWeb広告(チラシ)に出ていた特売の値段と、店頭に実際に表示されている値札の値段が違っていたらしい。
「なんだ、ただのスーパーの値札間違いか。」
人的ミスなど日常茶飯事だ。そう思ってお目当ての買い物に戻ろうとした瞬間、客の声のトーンが一段階、鋭く跳ね上がった。
「ただでさえ物価が上がってピリピリしてるのに、こんな初歩的なミスしないでよ。せっかくこれを目当てに買いに来てるのに、すごく気分が悪いわ」
店員の平謝りの声を切り裂くような、生々しい文句のニュアンスが耳に飛び込んできた。
元々その客が、何事にも完璧を求める性格だから、他人の仕事のミスが許せないだけなのかもしれない。しかし、私の目にはどうしても違う景色が映っていた。
他人の値札間違いをめざとく捕まえ、ここぞとばかりに店員を追い込んでしまうほど、この客は「生活の余裕」を削られているのではないか。
週に一度の特売日、開店直後、値上がり続ける食料品。この3つの条件が揃った今、たった数十円の値札のズレは、日々の生活防衛のストレスを爆発させる正当な「引き金」に変わりうる。客は店員のミスを叱責しているのではない。物価高という抗えない理不尽への怒りを、目の前の弱者にぶつけているだけだ、という話だ。
心の中で拳を握る共犯者
だが、私はこの光景を「余裕のない哀れな人だ」と他人事として片付けることなど、到底できなかった。
なぜなら私もまた、全く同じ火曜の特売日に、同じように1円でも安い食材を求めてこのスーパーに来ているからだ。
今回はたまたま、私が買う予定のない商品の値札が間違っていた。だからこそ、私は一歩引いた位置から「みっともないクレーマーだ」と冷ややかに品評していた。
もし、それが私自身のお目当ての商品だったらどうだろうか。
さすがに店員に声を荒らげるほどの熱量はないにしても、胸の奥でチクチクとした不快な苛立ちを覚えたはずだ。そして何より、私の周囲で足を止め、そのやり取りをじっと盗み聞きしている他の客たちの目が、かすかにギラついていることに気がついた。
彼らは決して、責められている店員に同情しているのではない。「よくぞ代わりに言ってくれた」と、心の中で固く拳を握りしめている共犯者たちだ。他人の口を借りて自分のイライラを代弁させ、自分は知らん顔をして買い物を続ける。
他人のミスを許せない客と、それを冷笑する私、そして影で拍手を送る周囲の視線。
カゴに入れた商品の重みを感じながらレジへ向かう。スーパーの値札間違いが暴いたのは、店側の落ち度などではなく、物価高の地熱によってジリジリと焼け焦げていく、私たち消費者の浅ましい本音そのものだった。


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